突然の難病指定【膠原病の皮膚筋炎】発症も私を知るひとつ、自己肯定感セラピストは生きる力を育てる

自己肯定感セラピストは生きる力を育てる
突然の難病指定【膠原病の皮膚筋炎】発症も私を知るひとつ
自己肯定感セラピストは生きる力を育てる

去年末からの経過はこちら

   ⤵️『「何かを得ることで何かを失う」という、まさにトレードオフの概念を超えて得るものは?』人生において何かを手に入れると、それと引き換えに別の何かを手放さなければならないことが多いです。「何かを得ることで何かを失う」というのは、まさにトレードオフの…ameblo.jp

突然、日常が一変する。
それが「膠原病の皮膚筋炎という難病」と呼ばれる診断を受けた日の感覚でした。
詳細は上記のリンクからね。

3/25膠原病内科の診察は、
私が入院中だったこともありちょうど夕方の最終でした。
先生から「ご家族に説明しましょうか?」と言われ、
面会に来てくれていた欽ちゃんパパにも丁寧に
今後の治療方針についても説明をしていただきました。
この病名のわかるまでの時間が長すぎて(発症から約4ヶ月近く)
未来への不安、体への怒り、自分を責める気持ち……。
そんな感情はすでに
2月3日の1回目の入院に至るまでに感じきっていました。

でも、
そんな中でひとつずつ
「不安は感じて当然なんだよ」
「今は体が辛い時だけどこんな自分でもいいんだ」
「今は大好きな仕事もできないけどそんな自分に甘えても良いんだ」
と思えるよう自己消化するかのように
自分の落とし込んでいく感情の中で
時に感情の揺れもありながらも
私は“自己肯定感”という、
見えないけれど確かな支えに出会っていて良かったと
実感しています。

【1. 病気になった意味はあるの?と問い続けた日々】

「なんで私が?」「これからどう生きていけばいいの?」
体が辛い時、
病名もわからずどんどん体の自由さを失い
状態がひどくなっていった時には
そんな問いが何度も浮かんでは消えました。

でも、ある時ふと気づいたんです。
“意味”は外から与えられるものではなく、
自分の中で育てていくものなのだと。

意味づけを変えることは、自己肯定感の第一歩でした。

「これまで頑張ってきた私がいた」
「病気になっても、私は私なんだ」
「すでに他界している父や母や兄たち姪の病気の時の感情が理解できるチャンスだ」

と思ったりすることで
自分を見失わないようにする、小さな勇気でした。

【2. どうやって人生を挽回していく?】

病気になると、
「これまで積み上げたものが崩れてしまった」と感じがちです。
でも“挽回”とは、元に戻ることじゃない。
むしろ新しい価値観、新しい生き方をつかむチャンス。
ここで問われるのは「何ができるか」より、「どう在るか」。
誰かと比べなくても、私だけの道がある。
その感覚が、少しずつ自己肯定感を回復させてくれました。

もちろんまだ入院中であり、
この難病はずっと付き合っていくものだと聞いています。

それでも、
筋力の衰えは時間がかかるものの
社会生活は十分にできるらしく
どのような方向に向かっていくのか
楽しみです。

【3. この体験が誰かの役に立つ日がくる】

私が教えている九星氣学でも
恩師が

「人は生まれてくる時苦しみを背負ってくる。苦しくて苦しくて死んでしまいたくなっても”死なないで”その経験はきっとあなた以外の人にとって役に立つ時が来る」

彼の勉強会の中で話してくれていたことを
私はずっと忘れることはできません。

そして、
私の著書「自信のないあなたのため自己肯定感セラピー」の中でも紹介した

V・E・フランクル著「それでも人生にイエスと言う」素晴らしい著書です。

「こんな経験、無駄じゃなかった」
そう思えた瞬間、世界が変わりました。

同じように痛みを持つ人に対する思いやりが持てることに気づきました。
誰かに優しくできる自分に気づきました。

“つらい経験”を“価値ある体験”に変えるのは、
「これも誰かの役に立てるかもしれない」という自己肯定感の芽生えでした。

【4. 入院中の静かな気づき】

入院という“強制的な静寂”の中で、
といっても、
私の入院中のタイムスケジュールは
結構過酷で、
治療方針が決まってその翌日から猛スピードで
点滴・検査・リハビリをこなしています。

それでも、
消灯後は静かな時間です。

私は初めて、自分の心の声をゆっくり聴くことができました。
焦りも、怒りも、悲しみも、
自己肯定感は、砂の城。

揺れて崩れてもまた作れば良いのです。
「そんな感情がある私でいいよ」と認めてあげたら、
何だかつるんとその状態から移行できます。

“ありのまま”の自分を許すこと、
それが、私にとっての“自己治癒”の始まりなのかもしれません。

バーチャルな世界でも
様々な冒険で
新しい現実を作り上げて
自己肯定感をさらに上昇させるつもりです。
病気は「私らしさ」を奪うものではなく、
むしろ「私を深く知る」ための鏡だったのかもしれません。

失ったものばかりに目を向けず、
今ここにいる“かけがえのない私”を認めてあげること。

それが、どんな状況でも生き抜く力——自己肯定感を育てる道だと、
今ならはっきり言えます。

そして、
今回の病気にずっと付き合って
見守って
お世話をしてくれている欽ちゃんパパの優しさに
感謝しています。

病名がわからず
家にいて体の辛さに苦しんでいる時も
入院した後も
彼は明るく支えてくれる寛大さを持っています。

これもまた、
私が今回の難病を受け入れたことで与えられた
パートナーとの「奇跡」なのかもしれません。

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